3
一頻り痛みに耐えたところで、ようやくスネークは立ち上がった。急所へのダメージは足の震えとなってきていたが、それでも彼は立ち上がった。もちろん、アイクを追うためだ。
よろよろした調子で廊下に出て、向かう先はアイクの部屋。緩慢に歩きながらも、スネークは内心葛藤していた。
例えば悪魔のような蛇は言う。よせよせ、放っておけよあんな阿婆擦れは。
対して天使のような蛇は言う。もし誤解だったらどうすんだ、今を逃せばこの先謝る機もなくなるぞ。
痛む股間に気を使いながら、それでもスネークは進む。今のところは天使のような蛇の言い分を優先しているが、大事な息子がずきずき痛んでいるのは誰のせいかと思うと、心が悪魔のような蛇の側に揺らぐ。
だいたい何も語らないアイクも悪い。風邪だ病気だで閉じこもっておいて、無理に会いに行ってみれば強く拒絶していたというのに、それが手のひらを返したように、いきなり現れてみるし、会いたかったと抱きついてくるし。
のような蛇が言う。納得のいく説明の一つや二つ、聞かせて欲しいってんだ。
なぁ?、と囁かれて、まったくだと頷いてしまう。アイクの行動すべてが謎だった。
思わず引き返しかけたところで、天使のような蛇が言う。アイクに言い訳する暇も与えなかったのは俺だろうが。
ここまで来ておいて、今更引き返しはしないだろう?、と囁かれて、思わず息を呑んだ。
いつの間にか、アイクの部屋の前だった。
「・・・・・・・・・・」
逡巡したのは一瞬だ。スネークはノブに手をかける。
鍵がしまっていたら、どうしてくれようか。
散々苦渋を味わわされてきた難所だ。ノブを握る手に力がこもる。手のひらが緊張しているのが自分でもわかる。
スネークが手首を捻ると、ノブは鍵に引っかかることもなくスムーズに回ってみせた。押せば、なんの抵抗もなくドアが開く。
ふぅ、と安堵のため息を零して、スネークは部屋の主を呼ぶ。
「アイク」
返事はない。
「アイク」
自分でも眉間が険しくなるのがわかる。
「・・・・・」
スネークが見た室内に、アイクの姿はなかった。天使のような蛇は黙り込んで、悪魔のような蛇が嗤い出す。
それみたことか!どうせ間男のとこにでもいるんだろう、また二人で俺を笑っているんだ。許せないだろ、なぁ?
荒む心のままに舌を打った。苛立ちが蘇る。もはや天使のような蛇はしぼんでしまって口も利かない。悪魔のような蛇は嗤う。
物音一つしない部屋を振り返ることなく、スネークは部屋を出た。乱暴に閉めたドアの音を廊下中に反響させたところで、無性に煙草が吸いたくなって自室に足を向ける。
だが、スネークはすぐに立ち止まった。
鉢合わせたその相手と、目がバッチリ合ってしまったからだ。
*
よりによって、今最も会いたくない相手の一人だった。
怪訝そうな顔をしている王子と、対して、とんでもない渋面を浮かべているスネーク。傍目から見て、とても穏やかに会話する雰囲気ではない。
それでも目が合ったからには、育ちの良いマルスは誰が相手でも無視する気はなかった。
「どうも」
「・・・ああ」
苦々しい返事にマルスは小首をかしげる。
「何かあったのかい?」
問いかけてはみるが、返るのは気まずい沈黙だ。
どうしてこの人、まだこんな不機嫌そうなんだろうか。マルスには疑問でならない。本来なら、今の彼はもっと上機嫌であるべきなのだ。
「アイクは?」
なんの含みもないような顔で問われたそれに、スネークは胡乱げな視線を向ける。
出て行ったアイク、彼の部屋にもいなかった。ならばどこにいるのだろう?目の前のこの男の元じゃないのか?疑い始めたらキリがない。
黙り込んで暗い目で睨みつけてくるスネークに、マルスは眉根を寄せる。睨まれたって身に覚えはない。
「・・・何かあった?」
問いながら、マルスは壁に肩を預ける形で寄りかかる。
こうなっては事の次第を質さぬ限り気がすまない。なにせ事は、アイクに関わるようだから。
*
壁に落ち着いてしまったマルスを前にしては、そうそう簡単には動き出せそうにない。なにせこの王子、なかなかの食わせ者なのだ。無視して通り過ぎるには後が怖すぎる。
早いとこアイクを探し出して真偽を質したいというのに。
「何が不満なんだい?だって、よかったじゃないか」
よかった?何がよかったというのか。スネークにはわからない。よかったじゃないか、なんて言われるほど良い目には合っていない。逆にどん底に近い今の状況を皮肉られているのかと勘ぐってしまうくらい、今のスネークによかったことはない。
マルスの真意は、彼が続けた言葉であっさり知れた。
「アイクがようやく出てきたんだからさ」
また出された名前には無意識に眉間が震えた。今、彼の口から何度も聞きたい名前ではない。
スネークの顔に険が増したのを、敏いマルスはすぐに察した。
「だからさぁ、黙ってたら何もわからないんだって。アイクと何か、あったんだろう?・・・それとも、まだ会えてない?」
「・・・」
「おかしいな。まっすぐ君のとこに飛んでいったと思ったけど・・・」
頭を傾けるマルスが言っているのは、先の場面のことだろう。二人が笑いあっていたあのときのことだ。
マルスは苦笑に近い笑みを浮かべていた。
「アイクときたら、開口一番に君の居場所を聞いたんだよ。らしくもなくそわそわなんかしてるし、当然僕は面白くない。
だって彼、君のことしか頭にない様子だったからね。僕だって久々に会ったのに、そっけないったらないと思わない?」
呆れた様子でマルスは愚痴るが、聞いていくうちにスネークの顔は青ざめていく。
マルスは言った―僕だって久々に会ったのに。
「・・・会っていたわけじゃなかったのか?」
「何と?」
「アイク」
「君でさえ閉め出されていたのに?」
嘘を言っている表情ではない。マルスの顔は、本心から怪訝そうだった。言葉にしたなら「何を言っているんだ、こいつ」だろう。
本当に、何を言っていたんだろう、俺は。
頭の中が一瞬真っ白になる。次いで、思い出すのは先刻ぶつけたばかりの罵声。去り際のアイクの顔。
これは不味いことをした。冷や汗が背を伝う。
スネークの狼狽は、傍から見ていたマルスからしてみたらあからさま過ぎた。穏やかであることの多いマルスの両眼が鋭く尖る。
「何かあったの?」
「・・・・・」
「アイクはどこ?」
「・・・部屋にはいなかった」
「アイクに会ったの?」
「・・・俺の部屋に来た」
「ふぅん。で、何があったの?」
「・・・・・」
拷問でもあるまい、ただの質問だというのに、マルスから掛けられる圧力は凄まじかった。スネークの冷や汗もだらだらだ。蛇に睨まれた蛙は動けなくなるというが、今まさにそんな気持ちだ。王子に睨まれた蛇は動けない、逆らえない。
渋々と、スネークは重い口を開いた。
*
反応があと一瞬遅ければ危なかった。
スネークは左腕に力を入れながら息を呑む。マルスの手はまだ剣の柄から離れていない。
突然のことだった。
事の次第を話すうち、マルスの顔が強張っていったのはわかっていたが、まさか剣を抜こうとするとは思わなかった。
ほとんど反射的にマルスの腕を押さえることには成功したが、瞬きもせず睨め掛けてくるマルスの目は本気だ。
マルスはアイクに甘い。散々世話を焼いてきたアイクに母性だか父性だかそのへんの本能が刺激されているからだ。
そんなマルスがスネークの仕打ちに怒るのは予想がついていたことだった。刃物沙汰になるとは思ってもみなかったが。
「落ち着け」
駄目もとで宥めてはみたが、ますます腕の力が強まっただけに終わった。本気の殺意を感じる。
「・・・久々にこんなに苛立ったよ。君の馬鹿さ加減と、こんな奴に負けた僕の惨めさに!」
マルスは漸く柄から手を離して、スネークの腕を振り払った。スネークも肩の力を抜く。が、油断は出来ない。存外に激情型らしいこの王子は、沸点を超えたらまた斬りかかってくるだろうから。
「だいたい君、おこがましいよ!あんな露骨に愛されといて、何でよりにもよって浮気なんて疑うわけ!?」
スネークはぐっと言葉を詰まらせる。
言い返す言葉はあっても、言い返す隙がない。今のマルスに口を挟んだところで倍になって返されて終わりだろう。
だからスネークは黙る。嵐が収まるのを待つだけだ。
「だから僕にしとけって言ったのに・・・!本当に馬鹿だよアイクは!」
「おい、ちょっと待て。僕にしとけってお前、おい」
「うるさい!君が一番の大馬鹿だ!」
「ッッッ!!」
いっそ子供が駄々をこねるような調子で怒鳴って、マルスは渾身の蹴りを容赦なくスネークの脛に入れた。
剣を抜きかねない腕は警戒していたが、足は完全にノーマークだった。もともと股間への一発で弱っていた足に追い討ちのこの一撃。言葉もなくスネークは膝を付く。本日二度目の涙の兆しは、俯きながら必死に堪える。
待てよ、蹴りで思い出した。
アイクが突然「好きだ」と言い出した日があった。あのときもアイクに容赦のない蹴りをもらったものだ。
マルスに告白されたとさらっと零すものだから、思わず問い質して口論になった結果の蹴りだった。その日の記憶が蘇る。
「あの日アイクは、僕に恋愛相談なんて持ちかけてきたんだよ・・・あのアイクがだよ? 「スネークに嫌われるかもしれないどうしよう」、だよ!? 僕はもう明日世界は滅びるな、って思ったね!」
饒舌に告げられた内容は、スネークからしてみれば初耳だ。
経緯すっ飛ばして結論だけ豪快に言い放ったアイクが、そんな乙女のような繊細な相談をマルスに持ちかけていたなんて、誰が思うだろう。いくら当事者の口から語られたって真実味がなさすぎて想像もつかない。恋愛相談するアイク・・・、いっそファンタジーだ。
「愛がわからないからスネークに嫌われちゃう・・・って、らしくなさすぎて僕はぞっとしたね!恋は人を変えるってレベルじゃなかったよあれは!その上僕の決死の告白も君に繋げて流されちゃうし、ああ、もう・・・、もうっ・・・!」
初耳だ。
アイクがまさかそんな。いや本当、ぞっとする。あのアイクが、あのアイクが!まさかそんな!
途端に愛おしさがこみ上げて、こんな状況じゃなければスネークは今すぐにでも身をもってアイクに愛を注ぎ込んだろう。撫でて愛でてとことん可愛がってやるのに。
そんな思いがけない可愛げを見せたアイクに、俺は何を言った?
「そんな気味が悪いほどピュアなアイクに、よりにもよって浮気を疑ったなんて!」
マルスの言葉に、去り際のアイクが見せたなんともいえない顔を思い出す。きっと傷ついていたのだろう。
「君はアイクの信頼を裏切ったんだ」
「・・・・・」
「アイクは浮気できるほど器用じゃないよ。僕でも知ってるよ、そんなの」
「ぐう・・・」
蹲るスネークの頭上に、マルスの嘲笑が降ってくる。
ぐうの音は出たが、言い返す言葉は出なかった。しょぼくれて項垂れるスネークを見下ろして、マルスは嗤う。
「君はそこで蹲っているといい。僕がアイクを見つけて慰めてあげるから」
最後にそれだけ言い捨てると、颯爽とマントをなびかせて、マルスはそこから踵を返す。
歩きながら、しょげ返った様子のスネークを思い出す。少しだけ気が晴れるが、それよりも圧倒的に大きいのは苛立ちだ。
「また敵に塩を送ってしまう僕も大馬鹿者だよ、本当にもう」
やるせない心中を呟いてみるが、やはり苛立ちは拭えない。
スネークより先にアイクを見つけて、うんと甘やかしてやれたら、きっと気も晴れるだろう。