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マルスはピットが好きだった。

一目見たとき、(――なんて可愛い)、叫びそうになった。
目が会ったとき、(やっぱり可愛い!)、熱に浮かされた。
初めて笑顔を見たとき、(ああ・・・好きになったかも)、これ以前から好きになっていたことには気付いていた。
いつ惚れたかと言えば一目彼を見たそのときからだっただろう。

ようするに一目惚れだ。お恥ずかしい話。
その日から、ピットを見てピットに近づいてピットに話しかけての日々。ピットピットピット、マルスの世界はピットを中心に回っていた、のかもしれない。僕の天使、とか冗談ではなく思っていたし。
マルスは、ピットが好きだった。
可愛い天使、健気な天使、愛らしい天使、いじらしい天使、まあ、いろいろ。
幸か不幸か、愛しの天使の裏面に気付くことのなかったマルスは、いや気付いたとしても多分、彼はピットを臆面なく愛してると言える。声高に宣言だって出来る。実際、言った。ピットくんに。

「好きだよ、ピット」
「うん、ありがとう、マルスさん」

花の綻ぶような笑顔に、胸の奥から蕩けるような気分になったのは覚えている。
でも、その直後。

「でも、ごめんなさい。ボク、好きな人が、いるんです・・・」

しおらしく言った天使に、マルスは憤りや落胆よりも罪悪感がこみ上げて、「あ、あ、別に、君を困らせたいわけじゃないんだ、僕の気持ちだけでも、知っていてもらえれば」と言ったが最後。
ピットくんはこれ以上ないくらいの申し訳なさを湛えた目でマルスを見上げ、「ごめんなさいマルスさん」そう謝ってから、「ありがとう」とはにかむような笑顔を浮かべた。
やっぱりマルスはきゅんときて、その件はそれで終わった。



だけどマルスは、まさかピットの好きな人がアイクで、その上ああも堂々と宣言されるとは思っちゃいなかったのだ。

「ボクたち、付き合ってますv」

ああ、よりにもよってアイクだなんて。
ファイターたちの中でもとりわけ親しい友人だ、アイクは。淡白そうな顔をして、恋愛ごとに興味もないといった風体の友人に、マルスは想い人をとられたことになる。ちょっとだけ釈然としなかった。
どうして彼なんだ、と思ったし、憮然とした顔のアイクに、僕のほうが絶対にピットには似合いだ、とも思ったけれど、結局は負け惜しみ。アイクを無視したりなんて大人気ないにもほどがあることまでしてしまったマルスは、それでも幸せそうにアイクにくっつくピットを見ていると、まあそれでもいいかと割り切った。ただちょっとアイク、君はピットに無愛想すぎじゃないか?と、小さな不満を抱くことだけはやむを得まい。



アイクの姿を見かけることがまったくなくなった頃、ピットはよくよく不機嫌になった。
ピットは笑顔を見せなくなったし、あまり人を寄せ付けなくなった。
マルスが心配のあまり声をかけても、「すいません・・・今は、放っておいてください」とだけ弱弱しく言って、か細く頼りない背中を見せて、去っていく。
その背中があんまりに寂しそうで、マルスは思わず抱きしめそうになったけれど、そこは黙って見送るだけにしておいた。それより、マルスが気になるのはアイクだ。
気になるというより、憤っている。ピットがあんなに寂しそうなのに、あの男はいったい何をしているんだ。
マルスは一応アイクのことを認めていたから、ピットとのお付き合いも認めていたつもりなのだ。それなのに、どうして姿を見せない。
ピットくん愛暦もいい加減長いマルスは、ピットのあの調子の原因がアイクにあることくらい簡単にわかる。
部屋に引きこもっているらしいアイクを、いっそ無理やり引き摺り出してやろうか、と思うようになった頃。

アイクが姿を見せるようになった。

いつもの仏頂面で、なんともない顔をして振舞うアイクに、マルスは首をひねる。
アイクの隣にいつもあったはずの姿が、見えないから。

アイクと入れ替わりに、ピットが姿を見せなくなった。

アイクはそれを気にした様子はなく、ピットを心配する素振りも見せない。マルスにはその神経が信じられない。本当に姿を見せなくなったピットを、ファンクラブも心配する声を上げている。
何せ今回姿を見せなくしたのはアイクじゃない。ピットくんだ。アイクが部屋に引きこもったのとはワケが違う。マルスだって心配だ。とても、とても、心配だ。
プライベートにはあまり人を寄せ付けなかったピットの、静まり返った部屋の前に立って、神妙な顔でノックする。返事はない。マルスは怪訝に思って眉をよせる。

「ピット?」
ノックする。
「マルス、だけど」
ノックする。
「いないのかい?」
返事は、ない。

嫌な予感。嫌われるのも覚悟で、マルスは思い切りドアを蹴破った。乱暴に訴えるのは苦手なマルスだが、愛し人の異変を思うと、ドアを蹴破るくらい造作もなくやってのけ得る。
ドアは傾いで壊れたけれど、気にせずマルスはピットの部屋に入っていく。
ピットの名を呼びながら、入り口からは見えない部屋の奥まで足を伸ばして、息をのんだ。声にならずに、二、三度口を開閉させて、叫ぶ。


「ピット!!」


意識をなくしてぐったり倒れた華奢な少年と、すぐ傍に転がっている彼の武器――剣にもなるその弓は、刀身を赤か黒か判断できない色で染められていた。マルスは縋りつくようにピットへ駆け寄る。何度も何度もピットの名を叫び、呼び、抱き起こす。脱力した体は、それでもぞっとするほど軽かった。震えながら、ピットの肩を抱きしめる。無造作に横に垂れている腕を見る。手首に、なにか、執拗に何度も切りつけたような痕を見つけて、息が止まりそうになった。傍らの神弓、その汚れた刀身を見る。ピットの手首の痕が、何によって付けられたものかなんて、簡単に想像がついた。ピットは。
「どうして・・・こんな・・・・・っ!」
こんな、自分を殺すような真似をしたのだろう。自傷行為の痕は手首にしか残っていなかったが、そこから流れた赤黒い何かはピットの手を、腕を、床の上までも染め上げている。心なしかいつもより真っ白で、血の気のないピットの顔を見下ろして、マルスは「ああ・・・!」と溜息をついた。

どうか、ピット。
死なないで。



半泣きになりながら、祈るような気持ちでピットの名を呼び続ける。この天使が死んでしまったら、マルスはきっと生きていけない。ピット、ピット。名前を呼び続ける。

ピクリ、と。
天使の長い睫が震えて、マルスは目を見開いた。ゆっくり、緩慢に、閉じられていた瞼が開かれていく。安堵と歓喜が込み上げる。口の端が上がるのを抑えることは出来なかった。
「ああ、よかった、ピット!死んでしまったんじゃないかと・・・、本当に・・・よかった・・・!」
ピットも弱々しく笑みを浮かべている。よかった、ああ本当によかった!そうだとも、こんなに愛らしい笑みを浮かべる天使が、死ぬわけないじゃないか!

ふいに、ピットが睫毛を震わせて、笑みをおさめた。彼は、困惑したようにかすかに眉を寄せる。
「どうしたの?」
聞いてしまったのがいけなかったのか。
ピットは、掠れた声で言ったのだ。
「・・・・・なにか、違う・・・・・」
なにか?なにかって、いったい、なんなんだい?
尋ねようとしたが、ピットの目は虚空を映して、また弱々しく瞼を閉じていく。緩慢なその様子にぞっとしたが、確かに呼吸する様子を見てとったから、マルスはそれ以上ピットに声をかけなかった。きっと衰弱しているはずだ。休ませたかった。
ピットの軽い体を抱き上げて、マルスは立ち上がる。とりあえず自室に連れ帰るのだ。



・・・・・なにか、違う・・・・・
「なにが違う?」
考えて、ふと、目を覚ました時のピットの視線がとらえていたものを思い出す。彼は、あのとき自分の髪を見ていた。たぶん。
自慢の青髪。あの無責任で粗野な男とは違う、澄んだ淡い青の色が自慢なのだ。
「青が違う?」
ピットは、僕じゃなくて、あの男を見て、微笑んだの?
いや、いや。マルスは頭を振る。まさか。考え過ぎだろう。きっと。違うはずだ。
違うはずだが、マルスは、アイクに対する憤りを抑えることは出来なかった。ピットを自室のベッドに寝かせて、痛々しい手首も清潔な布で巻いてやって、ようやくマルスは立ち上がる。



きっとピットをこんなにした原因であるはずの、憎くて憎くて仕方がないあの男を、殴るのだ。



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端的に言えば、ピットは記憶をほとんどすべて失っていた。
僕のこと、この世界のこと、自分のことさえ。名前もわからない、と彼は言った。

なんて可哀想なんだ。そう思った。可哀想で可哀想で、代わりに泣いてしまいそうになった、僕が。
僕の部屋のベッドの上は今、ピットが占領している。それはこれっぽっちも構わない。愛しい天使が傷ついて苦しんでいるのだから、慈しむのは当然だ。ベッドくらいお安いもの。愛する天使のためなら、僕はいくらでも床で寝てやる。そう戸惑いなく思えるくらいには、ピットがとても可哀想だと思うし、ピットをとても好きだった。

ベッド脇に座って、今は眠っているピットの頭を撫でる。柔らかい髪の手触りにうっとりする。
なんて可哀想な天使。僕は、僕のことを忘れられていたことよりも、「ボクは誰ですか?」と頼りなげに言ったピットが哀れで哀れでショックだった。途方に暮れた顔をしたピットに胸が痛んだ。痛みに比例してふつふつと沸くのは強い怒り。怒りの矛先は一人の男に向かっている。

何をしてるんだ、あの男は!ピットがこんなに苦しんでいるのに!

ピットがこんなになってしまった原因なんて、きっとあの男しかいない。
なにかヒドイことをされたのだろう、言われたのだろう。あの粗野な男のことだから、無神経極まりないことをしでかしたに違いない。せっかく僕が忠告していたのに。ピットは儚く華奢なのだから、優しく慈しむんだよ、って。言うだけ無駄だったみたい。

「・・・マルスさん」
「うん・・・?あ、起こしちゃった?」

すべての記憶を失ったピットに、もう一度自己紹介をしたから、彼は僕の名前を前のように呼んでくれる。今のピットが名前を呼ぶのは僕のモノだけだ。だって彼は他の誰の名前も覚えていない。当然、忌々しいあの男の名前もだ!

ピットは僕の問いにふるふる首を振って応えた。そうして、不安げに大きな目を僕に向けてくるから、僕は「どうしたの?」なんて努めて優しい声を出したのだ。怖い夢でも見たのかな。そうなら、うんと優しく慰めて励ましてあげよう。
僕の顔を窺いながら、ピットがおずおずと口を開いた。

「あ・・・、怖い顔を、していたから、」
「そうだった?ごめんね、君に怒ってるわけじゃないよ。少し、嫌いなやつのことを考えてただけ」
「マルスさんにも、嫌いな人がいるんですか?」
「そりゃあ、ね。僕も人間だから」
「ボクのことは?」
「好きに決まっているだろう!」

大袈裟に叫べば、ピットは照れたようにはにかんで、「ありがとう」と小声で呟く。

ああ、なんて可愛いんだ!
愛おしさが込み上げて堪らなくなったから、僕は思わず身を乗り出す。

「・・・ピット、は、僕のこと、好きかい・・・?」

勢いよく身を乗り出したのはよかったけど、どうにももじもじしてしまって、上手く話すことが出来なかった。
気持ちを確認することが、こんなにむず痒くてこそばゆいなんて。思春期の少年のような気持ちになる。だって僕もまだまだ若いし、そんな気持ちになるのも全部ピットが可愛いからだ。

ピットの澄んだ碧眼が見つめてくる。上目気味の大きな瞳に、信じられないくらいそわそわする。可愛い。可愛くて仕方ない!
そうして彼は、軽く小首を傾げるのだ。薄く頬を桃色に染めて、ふんわり微笑んで。
・・・ああっもう、狙ってるのかな、さっきから!
僕を十分にどぎまぎさせておいて、彼は言うのだ。


「好きですよ」


・・・ああ、僕の天使!!

顔を見合せながら、お互いに照れて笑いあった。
なんてウブなんだろう。でもそれも全然悪くない。だって僕は今とても心地よくて、ものすごく幸せだ。



記憶を失った天使はとてもとても可哀想。
でも、ごめんねピット。

君の記憶、戻らなきゃいいのに。

僕は今、本心からそう思うんだ。



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ピットの部屋の前で仁王立ちしながら、アイクは突っ立っていた。
顔はいつも以上に仏頂面で、目つきも鋭い。雰囲気は荒みきっている。腕組みした手は、神経質そうに人差し指をトントン言わせていた。どう見ても不機嫌。

その様子を、スネークは壁に寄り掛かってずっと見ていた。かれこれ30分はこの調子だ。よくもまあ飽きないな、とスネークは思ったが、そんなスネークもぼんやりアイクを眺めているだけだ。かれこれ、30分。

「暇だなぁ、俺もお前も」なんて言ってみたら、不機嫌な目で睨まれて、「暇なのはあんただけだろ」と、きっぱり言われた。何か言い返してやろうとも思ったが、たぶん何を言っても無駄だろう。アイクには今スネークを構う余裕などない。意識は完全にピットの部屋に向いている。スネークとしては面白くないが、それを口に出しはしない。大人だから。

「・・・いない」
「なにが」
「ピットだ」
「ピットか」

ようやくアイクは腕組みを解いた。不機嫌は解かれていないらしいが。
スネークも身を預けきっていた壁から離れて、軽く筋肉をほぐす。

「心配なのか?」
「心配というよりも、気になって仕方ないんだ」

出会い頭にしたたかに殴られた記憶は新しい。いまだに殴られた頬がうずく。マルスは怒り心頭の様子だったが、アイクも今回ばかりは苛々キている。次に会ったらあのお綺麗な面を躊躇なく殴り返せるほどに。

しかしマルスという男はいきなり他人を殴るような粗野な男ではない。見た目に違わぬ紳士なのだ。
そんな男が、だ。出会い頭に頬を殴るなんて凶行に出た理由は何か。

思い当たるのは一つしかない。
ピットだ。

別れ話から一度も姿を見ていない天使。その矢先にマルスからの強烈な一撃と、似合わぬ悪態と、思わせぶりな言葉。いくらなんでも気になる。理不尽に殴られもしたし、知る権利くらいあるだろうが、というのがアイクの主張だ。

スネークもその理由は気になっている。が、だからって部屋の真ん前でただじっと待ち構えているのはどうかとも思うのだ、スネークは。
まるまる一時間仁王立ちする根気があるなら、さっさとドアをノックするなり喚き散らすなり蹴り破るなりしてしまえばいいだろうに。口に出せばきっとまた睨まれるから黙っておくが。

アイクは、その無愛想な顔ほど厚顔なわけではない。普段はそれも否定できないとこもあるが、ことピットに関しては、見た目のわりに繊細だし怖がりだ。スネークはそれを知っている。
やがてアイクは、結局ノックの一つもすることなく首を振った。不機嫌の消えた顔は、諦観の色が強い。

「ダメだ、ピットの気配がない。部屋にいないみたいだ」
「いない?どういうことだ?」
「知らん。もう、いい。疲れた」

さっさと歩きだしたアイクの背は、心なしか丸い。しょぼくれているように見えて、スネークは片眉を上げる。
慰めてやりたくて仕方ない。

いまいち手段もタイミングも掴めず、手を出せないでいる自分に肩をすくめる。ただやっぱりスネークはアイクが哀れであったから、とりあえず後ろからその青頭をくしゃくしゃ撫でてやった。アイクは子供扱いを嫌う。きっと顔をむっつりさせて手を払いのけるだろう。

スネークの目論見に反して、アイクはただスネークに視線を返しただけだった。黙ってスネークの手を甘受している。おや、と思いながらもスネークは手を離す。

単に疲れきって反応を返すのも億劫なのか、それともまさか弱っている自分を慰めてほしいのか。

いや、深読みしすぎだろう、と自分で自分にツッコんで、苦笑する。
結局スネークは、何をすることもなかった。アイクは黙ったままだ。



なんともいえず、距離感がもどかしかった。



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アイクとピットの破局が、噂としてまことしやかに囁かれるようになった。
アイクはここずっとピットのそばにはいないし、肝心のピットは姿さえ見えない。ピットくんファンクラブが、ピットの現状をアイクに詰問しても、アイクはただ、「マルスに聞いてくれ」とだけ答えていた。アイクだって、ピットが今どこにいるかなんて知らない。ファンクラブが詰るような目を向けてくるのにも慣れた。何を言われようが睨まれようが、知らんものは知らんのだ。
次第に、アイクのことなど皆の関心から消えていく。彼らはただピットくんが心配なだけだった。

ピットの様子は、未だに知れていない。
アイクが知っているのは、マルスが自室に入り浸って、滅多に人前に出なくなったことだけ。



「飼われてんだろう」
「やっぱりそう思うか?」

向かい合って飯をつつきながら話すことは、マルスとピットの今だ。
スネークが口をもごつかせながらどうでもよさそうに放った一言。アイクはこくこく頷きながら、スネークを見返す。

アイクとスネークが一緒にいる時間はぐんと増えた。

気付けば、スネークはアイクのすぐ傍にいるのだ。最初のうちはそれが不思議だったが、今は気にもならない。
「なんであんた俺といるんだ?」なんて聞いたところで、「何か困るのか?」と返されればアイクは言葉に詰まるのだ。別に困ることもない。黙って首を振るだけだ。スネークはクツクツ笑うだけだった。
この距離に慣れてしまったアイクは気付かない。スネークが近くにいないと、きょろきょろあたりを見回して探すのだ、スネークを。本人、まったく無自覚だが、スネークはそのことを知っている。
アイクは絶対に認めないだろうが、彼は明らかに精神的に弱くなった。無意識に不安がってスネークを探す様はなんとも頼りない。依存にも似た癖は、生来のものか、それとも天使と付き合いを持っていた頃に芽生えたものか、スネークはあえて判断しなかった。

スネークが言ったとおり、ピットはきっとマルスの部屋にいる。飼われてる、という表現が適切かは知らないが、なんとなくイメージはつく。
ピットが今どうなっているのか、気にならないでもないアイクは、手元に目を落として、緩慢に咀嚼を続けている。その微妙な様子を眺めながら、スネークはさりげなく問う。

「どうすんだ、お前。ピットを取り戻すのか?」
「取り戻すも何も、ピットは俺のものじゃないし、もう繋がりも絶ってる」

手元に目をやっていたアイクは気付かなかったが、アイクの言葉にスネークは少しだけ満足そうに口の端を上げた。
実際、スネークは満足しているのだ。もくもく飯を食らうアイクの様子に、感慨深く頷く。なにせスネークは、少し前の、ピットとお付き合いごっこしていたころのアイクの覇気のなさをうんと心配していたのだから。
にやにやするスネークの様子に気付いたアイクが、訝しげな目で「なんだ?」と問うたが、スネークは笑みを抑えることなく、「別に」とはぐらかした。

食後、席を立ったスネークの横に並んで、アイクも歩く。何も言わずともついてくるアイクに、スネークはまた口の端だけで笑う。これが無意識の行動なのだ。横でふわふわ揺れる青髪に、可愛いじゃないか、と思ってしまうのも仕方ないではないか。


ピットはまだ、行方が知れない。姿を見せない。
(――いっそそのまま出てこないでいてくれよ)、とはさすがに口に出さないが、頭の端をちらっとかすめる程度に思っていることは否定しない。
父性か何か、そのへんの感情が刺激されているらしいスネークは、アイクに庇護欲なんてものをそそられっぱなしなのだ。



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「ゆっくり休んで。ね?」
気遣わしげな笑顔で言うものだから、ピットはぎこちなく微笑んで、「ハイ」と頷くしかないのだ。


マルスを見送ると、自然とため息がもれた。それも仕方がないだろう、ピットはとにかく暇なのだ。
休んでね、とマルスは言うが、ずっと寝たきりでいなければならないほど重傷ではない。真白い包帯で器用に巻かれた両の手首だって、なんの痛みもないのだ。せいぜい細い手首に痛々しい痕が残っているくらいだった。
心配してくれるのは有り難いが、いきすぎると窮屈である。いくらピットが大丈夫だと笑って手を振っても、マルスはダメだ駄目だと眉根を寄せて、慈しむように手首を包むのだ。君は死にかけたんだから。深刻な顔で彼は窘める。

マルスは優しい。どうしてそこまでしてくれるのか、首を傾げてしまうくらい優しい。
綺麗な顔で、慈しむ笑顔で、優しい言葉をかけてくれる。彼はまさしく王子様だった。
ピットは年頃の乙女ではないから頬を赤らめたりしないけれど、マルスが甲斐甲斐しく世話を焼いてくるのは悪い気はしなかった。好きだよ、と言われるのも嬉しい。
マルスは言う。君が好きなんだよ、と。
ピットもマルスが好きだ。だが。

(なにか物足りない・・・?)

記憶がなくとも、小さな違和感は抑えられない。ピットはマルスと一緒にいるのは好きだが、何か、腑に落ちない感じがする。

(なんだろう?)

ぼんやり考えながら、手首に巻かれた包帯をさする。ピットが包帯をさするのは、もはや癖のようになっていた。

(この傷と関係あるのかな?)

マルスが教えてくれた。手首の傷は、マルスの嫌いな、ある男のせいであると。ピットはそれが誰か知らない。覚えていない。この傷は、どうしてこんな場所に着いたのだろう。ボクはその人と仲が悪かったのかな。マルスさんが嫌うほどの人だから、きっと悪かったに違いない。そうは思ってもピットは、その人に会ってみたかった。ピットは記憶を取り戻したい。いつまでもマルスに甘えっぱなしでいるわけにはいかない。マルスが聞けば、そんなこと全然気にしなくていいのに!、と大げさに両手を振っただろう。君を甘やかすのも好きなんだ、と真顔で言うに違いない。だがピットは、マルスの優しさに甘えちゃいけないと思うのだ。

外に出たい。
じっと窓から外を見る。開け放たれている窓からは、心地よい風が入ってピットの髪を柔らかく揺らしている。天気は晴天。きっと外に出たら気持ちいいに違いない。外に出たら、この傷の原因らしい人に会えるかもしれない。思い出せない記憶を、引きずりだせるかもしれない。

なんて、理由はいろいろあるが、なによりピットは退屈なのだ。

「・・・もう一度、マルスさんにお願いしてみよう」

マルスに無断で外に出ようなんて、今のピットは考えもしなかった。大人しくマルスの帰りを待つ。
扉の外がざわざわしだしたのはそのころで、ピットは数回瞬いた。(なんだろう?)と興味をひかれても、ピットはじっと耐えた。たくさんの人の気配にそわそわする。ちょうどこの部屋、マルスの部屋の前に何人もの気配を感じる。
(マルスさんのファンの人たちかな)、思った瞬間、ドアがノックされた。反射的に「はぁい」と返事を返してしまったのは無意識だった。あ、と口元を押さえたときには、外のざわめきがますます大きくなっていた。部屋の主の声じゃなかったからかもしれない。
また、ドアがノックされる。なにが起こるか見当がつかなくて、ピットは少しだけ怖くなった。早く帰ってきて、マルスさん。
ドアはノックされ続ける。あんまりにしつこい。だが、苛立ちはしなかった。ノックに応えないことへの罪悪感ばかりが募っていく。外には出ないから。ちょっとドアを開けて返事をするだけだから。自分に言い訳をして、ピットは恐る恐るドアに近づいて、そおっと、覗くようにドアを開けてしまった。

「誰、ですか・・・?」

今マルスさんはいませんよ。言おうとしたそのときだ。


『ピットくん!!?』
「うわあ」

自分の名がたくさんの人に呼ばれたかと思うと、ドアの外に待機していたらしい人の群れに、ピットはあっという間に呑まれてしまった。

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