1

美少年天使ピットくんは、みんなのエンジェルです。

この世界にはエンジェルがいる。見た目どおり、天使の少年。そう、ピットくんだ。
無邪気な笑顔に素直な性格、容姿も愛らしい美少年天使を、男女関係なく誰もが好いていた。
いや、好いているどころか、心酔していた。愛している、と臆面もなく言える者もいる。
しかしピットには、そういった相手がいなかった。お付き合いとか、恋情とか、そういったものを純真無垢な天使に教え込むのに抵抗があるのかもしれないし、ピットを想う輩同士で互いを牽制し合っているせいもあるのかもしれない。
にっこり笑顔の天使は親しみやすいようでいて、一定以上お近づきにはなれないのだ。まさに高嶺の花。清楚ながらも可愛らしい、一輪の菫みたいなものなのだ、ピットくんとは。
だからアイクは、

「好きです、アイクさん」

なんてそのピットに言われても、まるきり現実味がわかなかったし、それ以前に言われたことの意味がわからなかった。
潤ませた大きな目が上目に見上げてくるのを見下ろしながら、呆然としたのだ。
目を見開いたまま固まったアイクに焦れたのか、見上げているピットはもう一度言った。
「好きです、アイクさんっ」
「・・・・・・・・・・」
なんと答えようものか。答えあぐねて、なおもアイクは押し黙る。
「ねえ、アイクさん」
「・・・あ、ああ・・・?」
「アイクさんはボクが好きですか?」
言われてみれば、別にアイクはピットのことを嫌いではない。いや、むしろ好きなほうだ。
ピットに心酔している、というほどではないが、なにかと懐いてくるピットを弟のように見ている節がある。
なにせ無邪気に懐いてくるさまは可愛らしいものでもあったから、嫌いと思ったことは一度としてなかった。
だからアイクの答えは決まっていたし、恋愛方面に疎いアイクは、特別な意味をこめることなく、言った。
「・・・そうだな、好きだぞ」
「やったぁー」
甘えたような声音ではしゃぐさまがまた微笑ましい。ピットくんファンクラブの面々が見たら、きっとすごいことになったに違いない。
それでもここにいるのはアイクとピットだけであったから、誰かがそれを見て騒ぎ立てることもなかった。
当然だ、ピットが二人きりを狙ったのだから。
(うるさい外野はいらないもの)
心の中で、天使は呟く。
そして彼は、アイクの手をとって、お得意のにっこり可愛らしい笑顔を浮かべる。
「じゃあ、今からボクとアイクさんはお付き合いしましょう」
「お付き合い?」
「恋人です」
「おい、」
「好きです、アイクさん。アイクさんは?」
「いや、確かに好きとは言ったが、」
「相思相愛ですね」
なおも何かを言おうとするアイクのバンダナを、ピットがグイと引っ張る。ガク、と頭が揺れて、なにするんだと言おうとしたところで、アイクは口を塞がれた。
ピットの、
(これは・・・、)
唇で。
(接吻か・・・?)
呆然と開いた口唇の隙間から、ぬるりとなにかが這うように侵入してくる。このシチュエーションから考えれば、正体はひとつしかない。
(舌が・・・。)
ピットの舌に己のそれを絡められ、吸い上げられる。なんだ、これは。
アイクは抵抗することも忘れていた。何が起こっているかわからなくて、動けない。ただ、息苦しい。
「・・・ん、・・・、ぅ・・・・・っ?」
舌が口腔内を蹂躙する。わけがわからずになすがままのアイクは、口の端から唾液が顎にかけてこぼれたのもわからなかった。
気がつけば口唇は離されていて、間近でピットの顔が悪戯に微笑む。天使、というより子悪魔といった感じの笑みだった。
「可愛いです、アイクさん。じゃ、部屋、行きましょうか」
「ぁ・・・・・?」
酸欠と、翻弄され尽くして呆けている頭はしっかりと機能していなくて、ピットが引っ張るままに、アイクはついていった。
ピットの部屋のドアをくぐったあとに、何が起こるかなんて、恋愛方面に疎いアイクは、やはり、わからなかった。



------------------------------


愛と勇気の美少年天使。そんなフレーズを誰が謳っていたのだったか。
ピットという少年は、その愛らしい容姿もさることながら、天使らしい無垢な性格が人気を博しているとか、その姿どおりみんなのエンジェルなのだ。
誰もが彼に懐柔され、あのマリオでさえ頭を踏みつけられたのもなんのその、「ごめんちゃい」の一言だけで、いいよいいよ全然いいよむしろもっと踏みつけちゃっていいよ、と言わしめた逸話さえあるとか。
だがそんなことはアイクにとってはどうでもよかったし、それよりも彼からすれば今日の晩飯のほうが大切だ。
だから今だって、ピットの試合を観戦するふりをしながら、肉のことを考えていた。
天使が器用にくるくる両手剣を回して、勝負だ!なんて声を上げている。とたんに、観客席から「カワイイー!」なんて黄色い声援が湧き上がったが、アイクは気にしないフリをした。

「アイクさんっ、見ててくれましたか、ボクの試合!」
「ああ、見てた。見てたぞ俺は」
試合が終わって真っ先に駆け寄ってくる様は、子犬が懐いてくるようで微笑ましい。微笑ましい、が、アイクはとにかく目をそらす。
それはそうだ、ピットの後ろから大量の視線が向けられているものだから。
彼らはどうやら、みんなのアイドルピットくんがアイクに懐いているのが気に食わないらしい。抜け駆け、とでも思われているのかもしれない。殺気とか怨念とか、穏やかじゃないものをひしひしと感じる。
ゲンナリしながら目を逸らしていると、指の間をくすぐるようにピットが手をつないできた。可愛らしい笑顔とは裏腹に、いやらしい手つきだ。
「っ・・・、」
「・・・どこ、見てるんですか?」
アイクにだけ見せるようにして、ピットが暗い笑みを浮かべる。にっこり、じゃない。ニヤリ、だ。
目が不吉な色を浮かべているのを、アイクは眉をしかめて見返した。
「ピット・・・、」
「ボクを見てくれないアイクさんは悪い子ですよね?」
「・・・・・?」
「お仕置き、しましょうか」
しまった、と思ったときには遅かった。グイとつながれた手を引っ張って、ピットは歩き出す。
こうなるとアイクは逆らえない。自分を好きだと言った彼の内面は、見た目ほど可愛らしいものじゃないのだ。アイクはそれをつい最近知ったばかりだ。
お仕置きと称して何をされるのか考えたり、背後からいっそう強くなった殺気を感じたりしていると、アイクはなんだかどっと疲れたような気分になって、手を引かれながら暗鬱を吐き出すように長く長くため息をついた。



------------------------------


ピットくんはみんなのアイドル。みんな大好きピットくん。
ピットくんファンクラブはゆうに100人超えを果たしていたし、ファンクラブ会員とまでいかなくても、ピットくんを嫌ったり疎ましがる者はいない。
そう、つまり愛されているらしいピットくんは今、大勢の人の輪の中、その中心で、笑っていた。
可愛らしい笑顔。そう見えているのだろう、彼を取り囲む面々には。
だが。

(あの顔は正直そうとう鬱陶しがってる顔だな・・・)

アイクにはわかる。
ピットを囲んだ人の輪から少し離れた場所で、アイクは壁に寄りかかってその様子を見ていた。
今、まさにピットが浮かべている笑顔。あれは、あまり機嫌がよろしくない。どうしてわかるか、といえば、彼の本性を知っているから、とでも答えておこう。

ピットと“お付き合い”するうちに、アイクは彼の裏面を知った。
純白の天使の外面の下にあったのは、暗黒の内面。とまでは言い過ぎかもしれないが、とにかくピットくんは見た目どおりのカワイコちゃんじゃなかった。計算高く、賢しい彼は、人に好かれるすべを知っていて、完璧な猫をかぶっている。たとえ機嫌が悪くても機嫌よく笑ってみせる、それが、アイクの知るピットだ。

ピットくん可愛い、なんて口々に言われて、ピットはにっこり笑ってありがとー、とのたまった。思わずアイクは眉をしかめる。
「男が“可愛い”とか言われて嬉しいと思う?」とはまさに昨夜、ピットが言った言葉だった。
はき捨てるようにして言われたそれは、苛立ちを隠しきれていなかった。アイクが黙っていると、ピットは、アイクにもボクの気持ちをわからせてあげるよvなんてありがた迷惑なことこの上ないことを言って、アイクを押し倒した。
可愛い可愛いと言われ続けながらの行為は、精神的にも身体的にもダメージが大きかった。
今だって腰がだるい。
思わず腰をさすりながら、アイクはぼんやりとピットを眺め続ける。
本当に外面だけは完璧だ。
でも、今となっては。

「胡散臭いな」
「・・・そうだな・・・・・・・・・・、って、え?」

まさに心の中で思ったことを、絶妙のタイミングで誰かが言った。誰か。誰だ?
アイクが声の方向、つまり隣へ顔を向けると、アイクと同じように壁に背をもたらせた相手と目が合った。思わず、瞬きをする。

「スネーク?」
「おう」

軽く片手をあげて応えた相手――スネークは、目を瞬かせるアイクを見て、得意げに口の端をあげた。



------------------------------


「あれだな、外面に騙されてるんだ」

スネークはしたり顔でそう言ったが、まあ、アイクもその通りだと思ったから、頷いておいた。
何の話かといえば、もちろん、ピットくんの話だ。アイクはいつもの仏頂面をしていたが、内心では少し、驚いていた。
アイクの知る限り、ピットについて上のように評した者は、スネークが初めてだった。おそらく誰もが彼の言うとおり、ピットの外面に騙されているのだろう。
たとえばアイクは、「ピットは猫を被っているんだ」と漏らしてみたことがある。その反応といえば、マルスはとても冷たい顔で嘲笑して、「何を言っているんだい?」と一蹴し、女性陣は可哀想な人を見る目でアイクを見て、軽く窘めた。よき話し相手である(とアイクは思っている)リンクに限っては、「それは可愛いな・・・」と頬を染められた。リンクはきっと、素直に言葉を受け止めすぎたに違いない。頭に猫を乗せているピット、確かに可愛いかもしれない。
アイクはリンクを天然だなと思っているが、アイクにそう思われちゃおしまいだ。
ついでにアイクはそこゆくプリンにも言ってみたが、無言で頬をはたかれる始末だ。踏んだりけったりすぎる。そこまで罪深いことを言ったのか俺は、とアイクに思わせる程度には、ピットくんは人気者だった。ファイターたちのほぼ全員が、ピットくん信者だ。それを思うと戦慄さえ覚える。
だから、スネークがピットを正常な目で見て、しかも真実を捉えているのを知ったとき、少しだけ、アイクは安心したし、嬉しかった。
でも。
「どうしてあんた、ピットの素顔を知っているんだ?」
ピットはアイクの前では自分を偽らない。気を許してるからだよ、と天使はそれこそ可愛らしい顔で笑っていた。
だからアイクはピットを知っている。けれど、スネークは?
(スネークも、気を許されてるのか?)
もや、としたなにかはっきりしないものが体内をめぐる。その感覚が不快だった。
だがスネークは、少しだけ間をおいて、言う。
「・・・・・見ていたからな」
「見ていた?」
ピットをか? と聞けば、スネークはまた少し妙な間をおいて、頷いた。
「あんたも信者か?」
「なんだそれは?」
「ピットくんファンクラブ」
「冗談じゃない」
心底嫌そうな顔をしてスネークは首を振る。あんな腹黒い天使、頼まれてもお断りだな、と彼は言った。
ピットのことが好きなわけじゃないらしい。無意識に、ふ、とため息が出ていた。
なんだかよくわからないが。
「あんたとは話が合いそうだ」
「奇遇だな、俺もそう思ってた」
アイクとスネークは今までたいした交流を持たなかったが、今このときからは、ピットを介した奇妙な仲間意識が芽生えた。交流というものは、共通の話題を探すところから育まれるのだ。



------------------------------


ああ、もう、鬱陶しい。自分に群がる者の輪が、ピットには少しだけ煩わしかった。
ピットはどこかで采配を間違えたのかもしれない。人に好かれるのは嫌いじゃないが、ここまで好かれると、逆に鬱陶しくてならなかった。そうだ、ここまで好かれる必要はなかった。
それでなくとも、ピットには今、好きな相手がいる。好いてくれるのは彼だけでいい。そう思うが、無理やり恋人になったものの、淡白で鈍感な彼は、今更だが本当にピットのことを好きなのか、わからない。
だいたいがして始まりから強引すぎたのだ。
体を繋げると想いも通じるかと思ったら大間違い。行為に抵抗はしないが、最近アイクは疲れたような顔をすることが多かった。
嫌われてはいないようだけど、実際愛し合っているという表現が当てはまるかといえば、答えは『微妙』。嫌な気分だ。
(やさしくしてるつもりなんだけどなぁ・・・。)
ピットは胸のうちでぼやいて、憂えるようなため息をついた。
とたんに、ピットを囲んでいる連中が心配そうな声を上げる。
(アイクも、これくらいボクを心配してくれればいいのに。)
むしろピットのほうがアイクを心配している。彼は今日もだるそうな顔をしていた。まあ、昨夜可愛がりすぎたせいもあるかもしれないけれど。
思わず頬が緩むと、また周りの連中が反応する。鬱陶しい、と思うと同時に、愛されてるなぁ、と他人事のように思う。
(アイクも、これくらいボクを想ってくれればいいのに。)
無理だろうけど、と肩をすくめて、ピットは視線を動かした。アイクには「いつも近くにいてね」と言いつけてある。こうしてピットが囲まれていると、たいてい彼は少し離れたところで壁に寄りかかってこちらを窺っている、はず。
そうして目だけで彼を探して、やっと目的の姿が目に入った。が。
(・・・・・ちょっと。)
目が見開いた。
ピットの愛しい恋人――アイクの隣には、誰か、男が立っていた。あれはそうだ、スネークだ。
ざわ、と言い知れない感覚が背筋を這い上がる。
(なに、してるわけ・・・?)
アイクは笑っている。軽く口の端をあげている程度だが、確かに笑っていた。
楽しそう。
なんで。ボクといるときはほとんど笑わないくせに。
そう思ったら、無意識にピットの体は動いていた。周りを取り囲んでいる連中を無理やり掻き分けて、進む。驚いたような雰囲気とざわめきが伝わったが、ピットは気にしなかった。そんなことより、人垣が邪魔で邪魔でしょうがなかった。
舌打ちも隠す余裕がない。ピットの目が捉えているのはアイクと、その隣を陣取っている男。そこはボクの場所なんだけど、と文句の一つも言ってやりたい。
ざわつく気配に気づいたのだろう、アイクとスネークがこちらを見て、軽く瞠目したのが見えた。
ピットはアイクの前に出ると、スネークをギッと睨みつけて、アイクの手首をつかむ。
「ッ、ピット?」
「・・・・・行くよ、アイク」
冷めた声音にアイクは眉をしかめ、スネークは面白そうに眉を上げた。気にせず、アイクを引っ張って歩き出す。
アイクはやはり抵抗せずに、疲れたように息を吐いた。その反応がますます面白くない。
不機嫌を隠そうとしないピットと、それに連れられて引っ張られるアイクの背後からは、「またお前か」なんていう大多数のやっかみの視線が送られてくる。
その中に一つだけ、ピットに向けられる敵意めいたものがあったが、アイクもピットも、それに気付かなかった。

RETURN / NEXT