朝の空気を感じた時点で、なにをせずともアイクは起きることができる。体内時計が出来ているからだ。ただしそれは、なにもない日の朝に限った話である。
たとえば今日が一日中休日で、昨日の夜遅くに部屋にやってきた恋人が「ボクもお休みなんだよ、アイク」と告げて、続けざまに「だから今日は二人一緒に夜更かし出来るね」なんて無邪気に笑って、当然のように圧し掛かられて、いやいや待ってくれ俺はもう寝るつもりだったんだと訴えたところで言葉が通じないのも諦めて、結局散々好き勝手されてそのまま気絶するように就寝した日の朝なんかは、どうしたって起きれない。なにせアイクの恋人はただ突っ込んでスッキリするよりも、アイクを自分の手でいいように泣かせて啼かせて支配するほうが満足するという、そんな困った人だった。
アイクにはいつ寝たのか、その記憶もない。気を失うようにして眠りに落ちたのだ。疲れ果てた体が睡眠を望んでいる。今日が休日なのも相まって、たとえ朝の空気を感じても起きられなかった。


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ピットはいつもより少し早めに目を覚まして、上半身だけ持ち上げて隣に眠る恋人を見る。口元が勝手ににやけた。ピットはこんな朝が大好きだ。朝起きて隣に眠る恋人の寝顔を眺めていられるなんて、最高に幸せだと思わない?
いつも朝がピットより早いアイクの寝顔は、なによりピットの心をくすぐるのだ。
昨夜、散々アイクを弄って愛していろいろしているうちに、彼は勝手に寝てしまった。やれやれしょうがない人だなあもう、とピットもそれを期にアイクにあれこれするのをやめた。無反応の相手を構ったって仕方がないから。そうしてやっと、日はすでに変わっていて、みんなとっくに眠りについている時間だと気付く。
夜更かし最高、休日最高。すっきり満足しながら就寝。
そうして迎えたこの日の朝、無防備なアイクの寝顔をたっぷり堪能して、おもむろに指を伸ばして頬をつつく。ピクリともしない。よっぽど眠いらしい。くすくす笑って、親指で唇をなぞった。昨夜はこの口からたくさんえっちなこと言わせたっけ。思い出してうっとりする。普段誰が見てもストイックなアイクが、泣きながらボクに縋って卑猥なお願いを口にするんだから、たまらないよね。
ぼんやりしながらするする唇を撫でていたときだ。アイクの頭がピクリと揺れた。起きるか、と目を瞬かせたが、アイクは眉を寄せてむずがるように小さく唸って、口元の手を緩慢に払いのけると、ごろんと寝返りしてピットに背を向けただけだった。寝息は変わらない。起きるつもりはないらしい。
一連の流れをピットはぽかんと見ていたが、やがて破顔して笑った。
「あはっ、子供みたい!」
こんな図体して、可愛らしい仕草をするじゃない!
アイクの予想外の動きを、ピットはとても気に入った。あんまりに可愛くてムラッとしちゃうくらい気に入った。ひとしきり笑って、ピットはもぞりと身を起こすと、背を向けていたアイクを仰向かせて、覆いかぶさる。まずは軽いキス。アイクが起きないのを確認して、今度は舌をねじ込んで、深いキス。調子に乗って動かない舌と自分の舌を絡めたところで、アイクがぴくりと反応を返す。口付けながら上目に見ると、アイクの瞼が持ち上がり、濃い青の目がうっすらと現れる。半目の状態でしばらくアイクはぼおっとしていたが、ピットの手が頬を撫でて首筋を降りて胸元にいったあたりで、ようやく覚醒する。
「っあんた、なにしてんだ朝から!」
「おはよう、アイク」
「あ、ああ、おはよう。いや、いいから手を止めろ」
「朝からアイクは可愛いね。もう止まらないよ」
「はあ?なに言ってんだ、昨日散々しただろうが、ちょ、ぅ、や、やめ、ろって・・・!」
「いいじゃない今日はお休みなんだから。恋人らしいことしよーよ、ねーえ?」
くすくす笑いながら仕掛けられる動きは、確実にアイクの官能を引き出していく。冗談じゃない、と押しのけるほどの体力もなかった。細くて柔らかいピットの腕に手をかけて、押しとどめるフリをするので精一杯だ。全身が重い。ぎしぎし軋んでいる。
「く、そっ・・・!」
「あはっ、どうしたの、抵抗しないの?キモチいーもんね、アイクはボクとこうするのが大好きだもんね」
顔を歪めて悪態を吐くアイクにも慣れっこで、そのたびにピットは組み敷いている優越感と、口の割に抵抗できない体の哀れさに愛おしさが湧きあがるのだ。まったくもって可愛い人。周りは誰も気付いてない。ボクだけの可愛い人!
朝から、なんてピットにはこれっぽっちも関係ない。
だって今日は珍しく二人とも乱闘の入ってないまっさらなお休みで、朝から晩までごろごろにゃんにゃんしてようが誰も気にかけない日なのだ。オフの日にまで関わってくるほど、ピットくんファンクラブは常識知らずの集まりじゃない。
互いに裸でベッドの上、そこにいるのが可愛い恋人なら、男ならすることは一つでしょ。
可愛いナリをしていても、ピットはもちろん男なのだ。そりゃあ、可愛い(とピットは思っている)恋人に手の一つや二つ、出しもする。
すでに快楽に陥落寸前のアイクを見下ろしながら、ペロリと口の端を赤い舌で舐め上げたときだった。

「アイクぅーッ、君まさかピットを連れ込んでたりしないよね!?」
「「!!!!!」」

けたたましい音とともに、遠慮も躊躇もなしに開け放たれたドアから現れたのは、綺麗な顔を不機嫌そうに歪めているマルスその人だ。ベッドの上で裸で睦み合っていたピットもアイクもとっさに固まった。しばらくの間彼らは固まりながら見つめ合う。
ようやく叫んだのは、顔を真っ赤に染めて口元、というより鼻の頭を押さえているマルスだった。

「あっ、アイク、君ってやつは!こんな朝っぱらから!ケダモノっ・・・ケダモノぉ!!!」

マルスは平手を振りかざしながらベッドの上の二人に走り寄る。勢いよく振られた平手は、パァンと小気味よい音をたててアイクの頬を打っていた。


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ふぁさ、と。
それはもう紳士めいた手つきで、マルスはピットに自分のマントをかけてやった。可哀想に、こんな朝から、この野獣にいやいや付き合わされていたなんて。僕が来なければどうなっていたことだろう。考えただけでおぞましいじゃないか。
マルスは紳士だから、ピットの白く瑞々しい少年の裸体から目をそらす。そりゃあ部屋に入ったそのときはまさかこんな状況になってるとは思いもしなかったから、目を見開いてその可愛らしい体を凝視してしまったけど。あんなのは事故だ。故意じゃない、決して故意じゃない。
必死で顔を逸らしているマルスは気付かなかった。ピットの顔が苛立ちにひくりと歪んでいるのも、アイクが打たれた姿勢のまま呆然と固まっていることも。
舌うちしたいのを無理やり抑え込みながら、ピットはしかたなくアイクのシャツを着る。大きさが合わなくてぶかぶかだ。ちょうどいいじゃない、これで下も隠せるんだから。生足を覗かせながらのシャツ1枚+マントの組み合わせ、アイクは揺らいでくれるかなと思いながらチラと見れば、彼はまだ固まったままだった。よっぽどショックだったのだろう。アイクからしたらかなり理不尽だったはずだ、今の一発。頬が赤くなっている。いや、可哀想に。慰めてあげようかなとも思ったが、それはこの邪魔者を追い払ってからだ。ピットはマルスを振り返る。
「マルスさん」
「あ、ピット。着替えは終わっ・・・」
背けていた顔を戻したマルスはまた固まった。目線はピットの生足を凝視している。見られて悪い気はしない。ピットは内心にやりと笑う。でもどうしてアイクにはボクのこの危うい魅力が伝わらないんだろうと思うと、溜息をつきたくなる。鈍い恋人も困りものだ。
「ぴ、ぴ、ピットくん、それは、ちょっと、刺激が、強すぎるよ・・・」
「あ、そうですか・・・?」
もじ、と恥じらって、アイクのシャツの裾を引っ張る。肩に引っかけただけのマントが片方ずり落ちて、余計になんだか危ういビジュアルになってしまった。いじらしい仕草に、マルスはもはや言葉も出ない。ただ、ピットの身を包むたった一枚の服が、アイクのものだというのが気に食わなかった。
むっ、と顔をしかめたマルスに、ピットが一言。
「アイクさんの部屋にいるときは、これしか着ちゃダメだって、アイクさんが言うから・・・」
「っ!!」
ギッとマルスの顔がアイクへ向いた。睨みつける目にはうっすら涙がにじんでいる。大部分が嫉妬に満ちた涙だった。
いや、待て、知らない、知らないぞ俺は。
まるで身に覚えがない。ないが、ピットはあまのじゃくだから、マルスを煽ってアイクを困らせるためなら、そんなお茶目な嘘も平気で口にする。アイクはそれを知っているし、ピットにゾッコンのマルスにいくら弁解しても耳を貸さないことも知っている。だからアイクは、もはや涙目で睨みつけるマルスを生温い視線で静かに見返せるほど、いろいろ諦めている。 そのままマルスに肩を掴まれ力任せに揺さぶられても、抵抗一つしないくらい諦めているのだ。
「君ってやつは、君ってやつは!せっかくこの僕が認めた唯一の男だったのに、ピットに、僕の天使に、いったいなんて破廉恥な行為を強要しているんだ・・・!!」
ガクンガクン視界が揺れる。脳が揺さぶられる中、ぼんやりアイクは思う。
勘弁してくれ。
何が悲しくて体を休めるはずの休日に、朝からこんな仕打ちを受けなければいけないんだ。
揺れる視界がマルスの顔をとらえる。澄んだ青の瞳が濡れているのを見て、泣きたいのは俺のほうだ、と心中だけで悪態吐く。


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「それで、何の用ですか?」
普段と変わらない声音に聞こえるのだろう、他の者には。現に、マルスはピットの機嫌に気付く素振りもなく顔を赤く染めてピットを見つめている。アイクは呆れる。どこからどう見たってピットは怒り心頭じゃないか。この不機嫌極まりないオーラ、あんた感じないのか?
マルスの顔が赤くなる一方、アイクの顔はピットの機嫌が降下するたびに青褪めていく。それにしてもしんどい。ベッドから起き上がりたくもなかったというのに、無理やりマルスに追い立てられて強制的に正座させられているこの苦痛。眠いしだるいし、全身が痛むし。ぶつけられるマルスの敵意にもうんざりするし、隣でぴっとりくっついて座るピットの不機嫌にもげんなりだ。
黙ったままうつむくアイクなど眼中にない様子で、マルスはピットにだけ向き直った。
「マスターハンドから言付けを預かったんだ」
「・・・・・右手から?」
ボソッ、と嫌そうに呟いた声はきっとマルスには届いていない。マルスさえいなければ堂々と顔をしかめて舌うちして悪態をついてやりたいくらい嫌な予感がした。かすかに歪んだピットの表情が、不安そうに見えたのか、マルスはあわあわ慌てだして、両手を振りながら宥めるようにまくし立てた。
「いや、そんなヒドイことは言付かってないよ!ただちょっと手違いがあったみたいで、」
「手違い・・・?」
「そう、今日の対戦スケジュールについてなんだけど、」
「今日の対戦スケジュール・・・」
「昨日まで用意されていたスケジュールは間違いだったんだ。それで、そのぅ、ピットの休みは今日じゃなくて、」
「・・・・・」
「明日、なんだ。今日はピット、君に何戦か乱闘が割り振られて・・・」
「ええ〜っ!?」
ピットは、大袈裟に声を上げた。悲痛な声に聞こえたマルスは困ったように眉を下げ、アイクは視線だけでピットを見る。ピットは大きな瞳をうるませて、愛らしい顔を歪ませていた。
ああ可哀想、可哀想だな。投げやりにアイクが思う反面、マルスは見てて面白いくらいうろたえていた。鼻で笑ってやりたい。アイクはただうつむいて悪態が出ないように耐える。ここで余計なことをして、ようやく逸れたマルスの怒りを戻したくはなかった。
「そんなぁ、ボク、今日のお休みをずっと楽しみにしてたのに・・・」
「ああ、ピット、泣かないで・・・!」
「せっかく、せっかくアイクさんと一緒のお休みなのに・・・」
ひっく、としゃくり上げる音が聞こえる。ピットの言葉は本心だろう。確かにピットはこの日を楽しみにしていた。スケジュールを眺めながらニヤリと笑っていたのを、何度も何度もアイクは目撃してきたのだ。天使に似つかわしくない黒い笑みに一歩引いたのは言うまでもない。
この茶番に内心げんなりしていると、おろおろウロたえていたマルスが突然キッと睨みつけてきた。
「アイク・・・!君、なにをぼやっとしてるのさっ、ここでピットを慰めてあげるのは、君の役目だろっ!」
その、突然矛先を向けるのはやめてほしい。疲れた気分でマルスの非難を聞き流す。「あー・・・、」と言葉にならない声を上げてピットの様子をうかがえば、ひっくひっくとしゃくりあげながら、目元を押さえた手の、その指の隙間からちらりとうるんだ大きな目が見返してくる。ああ、面白がってる。
またぐだぐだ始まったマルスの説教を聞きながら、アイクはなかば自棄になりながら、ピットの頭を撫でてやった。
「・・・泣くな、ピット。頼むから・・・」
「・・・・・アイク・・・さん・・・」
のろのろと顔を上げたピットは、ぽろぽろ哀れっぽく涙をこぼしながら、アイクを見返してくる。ああ、この顔は卑怯だ。マルスでなくとも、罪悪感にうろたえてしまいそうになる。たとえ嘘泣きだとしても。
「・・・なんだ?」
「アイクさんが、泣くなっていうなら・・・ボクももう泣きません・・・」
「ああ・・・、」
内心ほっとしながら、手の甲で弱々しく涙をぬぐっているピットについ手を伸ばして、涙をぬぐってやる。ピットは一瞬だけ意外そうな顔をしてから、すぐに嬉しそうに笑った。
「アイクさん。アイクさんが行けって言うなら、ボク、我慢して今日も頑張ってくるよ」
なんて健気なんだ、とうっとり呟いたマルスの声は無視だ。アイクは「そうか」と頷いた。
「行ってこい、ピット・・・!」
「・・・うん、わかった・・・」
ピットが頷いたのを見て、アイクは危うくガッツポーズしかけるのをなんとか留めた。
いや、だって、寝れるのだ。ピットが休みじゃなくて、アイクは休みなのだから、誰にも邪魔をされることなく、存分に寝ることができるのだ。
降って湧いた幸運。いい加減、肉体的にも精神的にも疲れきってたし、眠気は今すぐにでもアイクを引き込もうとまとわりついて離れない。今すぐにでも寝たかった。さあいいぞ連れてってくれ、とマルスを振り返ろうとしたところで、腕をぎゅっと掴まれた。嫌な予感がする。
「アイクさん・・・もちろん、ボクの試合、見に来て、くれるよね・・・?」
「え、いや、俺は寝る・・・・・」
うっかり言ってしまって、ハッとする。ピットがわざとらしいほどショックを受けた顔をしたのと、それを見たマルスがもの言いたげに口を開閉させたのと。
あ、やばいな。と思ったのと同時くらいに、マルスがまた騒ぎ出す。
「君ってやつはっ君ってやつは!アイクッ君はこんなに健気なピットの、いじらしいお願いの一つも聞けないって言うのかい!?」
思わず額を押さえる。マルスの声を聞き流しながら、アイクが視線をピットにやると、天使はにっこりなんて可愛らしいものじゃなく、すべて計算ずくと言わんばかりの黒い笑みをニヤリと浮かべてみせた。


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アイクの腕を引っ張りながら、マルスは観客席へ向かっていた。早く行って、最前列の席を取りたいというのに、アイクがもたもたしているせいで気が焦る。
耐えかねて振り向いた。
「もっとしゃんと歩いてくれないかな、アイクっ」
「・・・先に、行っててくれて、いいんだぞ・・・?」
「それはダメ。ピットに頼まれたんだから、なにを言われても連れていくよ」
とたん、はぁー、と疲れたような溜息が聞こえて、マルスはむっとした。ため息をつきたいのはこっちのほうなのに、どうして君がため息つくわけ。苛立ち紛れに、腕を掴む手に力を込めた。マルスとて男で剣士なのだから、アイクほどではないにせよ、握力はある。うぐ、とアイクがうなったのを聞いて少しだけ気が晴れた。
もうすぐ観客席だ。ざわめきが聞こえてくる。気が焦る。
「アイク、早く」
「・・・ねむい・・・」
「ピットのほうがよっぽど眠くて辛いのに頑張るんだから、君がしゃんとしないでどうするんだよ」
「あー・・・・・」
もう、アイクにはマルスのとてつもない勘違いを直す気力もない。ただおざなりに生返事を返すだけ。
眠くて眠くて、今なら立ったまま寝れるかもしれない。それくらい眠いが、マルスがグイグイ引っ張るものだから、アイクも仕方なく足を動かして前に進む。マルスが前を向いているのを確認して、くぁ、と一つ欠伸をする。ついでに瞼が閉じかけたが、マルスがまたグイ、と引っ張るのでなんとか半目の状態で耐えた。
・・・のだが、もたついていた足は耐えることが出来なかった。
「うわっ、」
声を上げたのはマルスだ。足をもつれさせて倒れたアイクが、背中に圧し掛かってきて、その重量と勢いに耐えられず二人して床に倒れ込む。なんとか手をついたとはいえ、したたかに額を打ち付けたマルスは、その痛みに呻きながら怒鳴った。
「っ痛いんだけど、ちょっとアイクッ・・・!?」
「う・・・・・」
アイクを振り向こうと首を動かしたのはいい。ただ、顔を向けたすぐ先にアイクの頭があったのには驚いた。本当に至近距離。自分のものより濃い青の髪が鼻先をくすぐる。
小さく呻いたアイクは、もぞりと頭を動かして、声のほうへ顔を向けようとする。
――な、あ、やめてくれ、君が今こっちを向いたら、ものすごく近ッ・・・!
焦るマルスに気付かないアイクは、マイペースに頭を動かして、マルスへ顔を向ける。思いのほか至近距離にあった顔に驚いて、数回瞬いたが、はっきりしない頭はそんなことなど気にもとめなかった。
「あー・・・、すま、ん・・・マルス・・・」
とりあえず謝ったアイクだが、マルスはただ顔を赤くして目元と口元を引き攣らせている。アイクは首をかしげた。マルスに反応はない。
「マルス?」ともう一度名を呼んで、ようやくマルスはハッとしたように顎を上げた。アイクの顔をまじまじ見て、それからさらに顔を赤くさせて、うるんだ眦をキツくした。
「謝る暇があったら早く僕の上から退いてくれ・・・!」
マルスは怒って訴えるが、アイクは倒れ込んだ態勢にうっかり眠気が押し寄せて、「あー・・・」とだけ生返事を返すと、そのまま寝てしまおうと目を閉じる。マルスの眉間が引き攣った。人の上に圧し掛かって寝るだなんて、何様のつもりなわけ?
この野郎、だとか王子らしからぬ罵声が出そうになったが、慌てて口を噤んだ。
なんとかしてこの馬鹿を起こそうと、唯一自由の利く頭でアイクの額を打ち付ける。
ゴチ、と頭突きの要領で額をぶつけられて、アイクは「うぐ」と呻いた。しぶしぶ、だるい体を持ち上げる。
マルスはまだ顔を赤くさせたまま、さっさと起き上った。その顔をぼんやり眺めてアイクは問う。
「あんた、顔が赤い」
「うるさいっ」
「風邪か?」
「・・・うるさいってば・・・!」
火照る頬を自覚しながら、マルスはそれを誤魔化すように足を速める。
間近で向かい合ったアイクの顔。至近距離で自分の名を呼んだ声は甘く掠れて聞こえていた。勘違い、勘違いだと自分に言い聞かせても、心臓はバクバクいいだすし顔は熱くなるし。
ピット相手にならそれも納得できるけど、なにを間違ってアイクなんかにトキめいているんだ、僕は・・・!
くそう、と舌うちしそうになる。気の迷いを振り払うように、髪をかき上げて額を押さえた。

何故か不機嫌そうなマルスの様子に首を傾げながら、また腕をひかれるままにアイクはマルスについていく。
観戦席はもう間近だった。


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最前列に座ろうとするマルスを、なんとかして振り切った。ピットが参加する乱闘がある日はいつも混雑している観客席の、特に激戦区になっている最前列の席に、アイクは好き好んで座りたくなかった。ワアワアとすでにぎっちぎちになっている様子に、よく頑張るな、とだけ思いながら席を探す。
後列の席は空き気味で、とりあえず最後列の席に座っておいた。腰を下ろしたとたん、想像していたとおりすぐに眠気が襲ってくる。
うるさいマルスはいない。眠りを妨げるピットもいない。一人、ぽつんと座ったまま、至福の思いでアイクは目を閉じた。
乱闘が始まるまではまだ時間がある。始まった頃合いに起きればいい。それまでは寝る。いい加減寝る。
腕組みして頭を垂らせば、意識が落ちるのに時間はかからなかった。


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見知った姿を見つけてみれば、都合のいいことにその両隣の席が空いていた。両隣どころじゃなく、最後列にはほとんど人がいない。項垂れている相手の隣に勝手に腰掛けて様子を窺えば、目を閉じて気持ちよさそうにぐっすり眠り込んでいた。
眠ってていいのか、コイツ。
ピットの試合はもうすぐ始まる。寝てなんていたらあの天使は怒るんじゃないか。スネークは親切心から起こしてやろうと思ったのだ。
「おーい、アイクー」
おざなりに呼んでみて肩を揺すると、思いのほか簡単にアイクは瞼を持ち上げた。とはいえ、完全には覚醒にいたらず、むしろ半分以上夢見心地のようで、薄く開いた目が胡乱げに前を見据えている。
「寝てていいのか、お前。ピットの試合始まるぞ」
「・・・・・ぴっと・・・・・」
ぼそ、と呂律も怪しく呟いたアイクに、大丈夫かコレ、と眉尻を下げる。とはいえ、一応起きたらしいアイクに満足してスネークもステージを見下ろす。別にピットの試合に興味があるわけでもなかった。むしろ目的はアイクにちょっかいかけることが大半で、試合を見ることは二の次だ。そうして接近すること自体が、アイクが寝ていることよりもはるかにピットの逆鱗を逆なですることは知っていたが、気にしない。スネークが面白いからいいのだ。
ワアッ、と周りがいっそう盛り上がる。ファイターたちがそれぞれの形でステージ上に現れる。ピットも、天使らしい光を纏って降りたった。会場の熱気が一気に上がった気がする。
隣ではアイクがうつらうつらとしながらも、ギリギリのところで瞼を止めて、かろうじて目を開けていると判別できる状態のままステージを見ている。スネークはそれを横目に観察しながら、視線を感じて目を向けた。ピットが、こちらを見ていた。
あからさまに睨まれている気がする。気がする、というより睨まれている。確実に。じゃないとこの突き刺さるような殺気が説明つかない。
アイクがそれに気づいた様子はなかった。というより、半分寝かかっている。周りがいっそう盛り上がって歓声を上げても、聞こえている様子もない。コクリ、コクリと頭を上下させて、たまにガクンと大きく頭を落としては、ハッとしたように目を開いて姿勢を戻す。それからしばらくは背筋を伸ばして試合を、ピットを見ようと頑張っていたが、またすぐにコクリ、コクリと舟を漕いで、繰り返し。
スネークは隣でそれをじっと見ていた。もはや試合なんてそっちのけだ。アイクが倒れ込みそうになるたびに腕が出かけるが、不思議と倒れることなくもぞもぞ元の姿勢に戻るのを見ては笑いそうになる。その一連の流れが愉快なもので、スネークは飽きもせずアイクを眺め続けた。時折よこされる鋭い視線は気にしない。むしろあからさまな天使の嫉妬に気分が良くなる。
黄色い声がピットくんコールを始めたころ、またハッと目を開いたアイクが、のそりと姿勢を正した。ピットくん、ピットくん、とお姉さま方の声援は続いている。羨ましいことだ、とスネークは鼻で笑う。
だが、いくらお姉さま方にエールを送られようが、肝心のアイクは応援どころか必死に眠気と戦っている状態である。しかも押され気味。眠気に負けそうになって、アイクはまたコクリと頭を揺らした。
試合よりもよっぽどアイクの様子が気になる。スネークは隣で揺れるつむじをじっと眺める。またアイクは意識を飛ばしたようで、完全に目が閉じた。口はぽかんとあいている。間抜けだが、普段の仏頂面よりずっと愛嬌のある顔だった。
ふと、アイクの頭が今度は横に傾いて、スネークの腕に触れる。「お」と思うと同時に、突き刺さっていた視線がますます殺気を帯びた。
スネークは困ったように頭を掻いて、それから腕にもたれて眠るアイクを揺さぶって起こしてやる。
「お前のイイ人がすごい目で睨んでるぞ?」
「・・・・・んん・・・・・?」
声をかければなんとか目は開くのだ。姿勢も、スネークの腕から頭を離す程度には起き上がる。それでもまだスネーク側に傾いた姿勢のままだ。瞼がピクリと揺れて、またすぐに目が閉じそうになる。
「おい、アイク。いい加減起きないとあの天使が・・・」
「・・・・・いい・・、も・・ねる、から・・・」
「あ?」
もはやアイクの言葉はうまく聞き取れない。限界らしい。
アイクはまたカクン、と頭を揺らして、今度はスネークの肩に頭を預けて落ち着いた。おいおい、と思いながらステージを見下ろせば、戦いながら器用にこちらを睨みつけてくる天使がいる。
嫉妬、牽制、威嚇。その他諸々負の感情がこもった視線だったが、スネークを怯ませるには至らなかった。なにせ距離もある。視線だけでは痛くもかゆくもない。少しチクチクするけど。
重みを感じる左肩から、ぐぅぐぅ寝息が聞こえてくる。青髪が視界の端で揺れている。悪くない気部員だった。
そこで慎重に腕を持ち上げたのは、ちょっとした茶目っ気であったし、女にキャアキャア言われているピットへのからかいもあった。なにより、肩にかかる重みが心地よかったのが大きい。スネークはアイクを起こさないように腕を動かして、アイクの肩に手をかける。途中、肩に乗っていた青い頭がずり落ちかかってひやりとしたが、アイクに起きる気配はなかった。
抱き込んだアイクの体をグッと寄せると、ピットがモノ言いたげに口をぱくぱくさせる。すぐに対戦相手の拳が飛んできたから慌てて避けていたが。スネークはニヤニヤ笑う。余裕のないピットを見れて満足だ。もちろんピットは面白くないから、ぎりぎり歯噛みして、乱闘の最中しきりにスネークを睨んでいた。

自分が寝ている間にそんなことになっていようとはまったく思わぬアイクは、スネークに頭を預けながらぐうぐう眠り続けていた。


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目を覚ますと、ベッドの上にいることに気付いた。しかも天井を見るに見知った部屋だ。ファイターたちにあてがわれた部屋はどれも同じ内装をしていたが、アイクはこの部屋の天井を見ただけで今自分が誰の部屋にいるのか把握できる。何度もこうして見上げてきたのだから。
「・・・ピット・・・?」
「やっと起きた」
呟きに返った返事に、眠気が一気に飛んだ。狭いベッドの上、すぐ隣にくっつくようにしてピットも横になっていたのだ。思わず声が出る。
「うおっ」
「なに、その反応っ」
ピットがむっとして頬を膨らませる。彼がアイクにはよく見せるその顔は可愛いもので、アイクがこっそり気に入っていたりする顔だ。そんな顔をされるとアイクは弱い。
「すまん、少し驚いた」
謝って頭をぽんぽん撫でれば、ピットは「しょうがないなぁ」とくすぐったそうに笑う。その顔がまた可愛いわけで、アイクもほんのり癒されながら、ハッと思いだした。
「・・・あー、ピット・・・」
「なぁに?」
「悪かった」
あんたの試合、見ずに寝ちまって。
ピットは笑みを納めてじっとアイクを見る。正直、寝てしまったこと自体はそんなに怒ってはいないのだ、ピットは。なにより昨日は夜更かししたし、アイクも疲れてただろうし。
どことなくしょげている様子を見て、ピットは思わず許しかけたが、そうするにはちょっといただけないことがあったのだ。
「すっごくムカムカしたんだよ」
「う・・・」
アイクに圧し掛かって責めれば、言葉を詰まらせて目をそらしてしまった。
「まぁ、アイクのせいだけじゃないんだけど」
むしろアイクだけなら、必死に起きていようと眠気に抗う姿を見て楽しめたはずだったのだ。それが、横にあの蛇のおっさんがいたせいで、ただそれだけのせいで、ムカムカしてイライラして、乱闘にも負けるしファンクラブに愛想振りまく余裕もないし。試合が終わってすぐに観客席に飛んで、蛇からアイクを奪うように取り返して、人目もあるから睨む程度に威嚇して、さっさと部屋に戻ったのだ。背中に担いだアイクは思いし、背後から蛇の笑い声を聞いてますます苛々したし。
踏んだり蹴ったりではあったけど、アイクが気持ちよさそうに寝てるから、寝かしといてあげたのだ。
思い出したらまた少し苛立って、ピットはぎゅうっとアイクに抱きついた。
アイクは目をまたたかせたが、ピットが苛立ちと傷心とを同時に抱いていたようだから、どうしようか迷って、とりあえずその背にそっと手をのせる。なんとも言えない雰囲気であった。
「・・・ボクは、本当に楽しみだったんだよ、今日がさ・・・」
「ああ」
「一日中ずっと一緒にいようと思ってたんだ」
「ああ」
「他の人ににこにこすることなくさぁ、アイクにだけ笑ってたかったんだよ」
「ああ」
「っもー・・・つかれた・・・っ」
額をぐりぐりこすりつければ、アイクが苦笑して頭を撫でてくれる。この手の感触が好きだ。当然、この手の持ち主も。
「好き。アイク大好き」
「ああ、知ってる」
「アイクは?」
「あー・・・・・」
ついとぼけると、ピットが顔を向けて、むっと不機嫌顔を向けてくる。
疲れることばかりだし、理不尽なことも多いが、たまに甘えられるとどうも嬉しいので、やっぱりアイクも、
「俺も好きだぞ、ピット」
そう言うしかないのである。


アイクがあんまり可愛く(あくまでピット視線である)笑うから、姿勢的にもちょうどよかったし、ピットがついムラッときて、あらためてアイクに圧し掛かったのも、当然の流れなのである。

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