14.媚薬
「団長さん団長さん、」
「ララベル?」
「はい、これ」
突然手の平に握らされたのは、なんの変哲もない傷薬。
「?」
「ララベルさん特製の傷薬よ。団長さんへの愛をイッパイに詰め込んで作ったの」
うふ、と妖艶にララベルが微笑むが、無論、鈍さに定評のあるアイクが、その微笑に何かを感じることなどなく。
「ああ。ありがとうララベル」
「いいの、なんたって団長さんの為だものっ!」
ギュ、と両手で掌を握られるなんていつものこと。アイクは握られた手をなんら気にすることもなかった。
「でも、その傷薬、私の前でなきゃ使っちゃダメよ」
「戦場で使わんと意味がないぞ?」
「ダメよ。戦場で使うなんてとんでもないわ!」
半ばオーバーに首を打ち振るうララベルの様子に、アイクは僅かに眉間に皺を寄せた。
「・・・・・・・この傷薬、一体なんなんだ?」
「うふっ」
笑って誤魔化されても。
嫌な予感が一瞬にして背筋を駆け上がる。本能的にそれ以上の追求を避けたが、どうにも居心地が悪い。
とにかく貰った物は一応懐に収めておいて、アイクはもう一度礼を言うとララベルの前から立ち去った。
不吉な代物は、なるべく使わないようにしようと心に決めながら。
それでも、捨てることもキルロイあたりに見せることもしなかったアイクには、一応ララベルへの信頼はあるらしい。
人はそれを、不用心、という。


*


「くっ・・・・・」
まずい、かもしれない。
「アイク将軍!」
「だ、いじょうぶだッ!」
比較的近い場所で戦っていたジョフレが、こちらに馬首を変えそうとするのを制し、アイクは小さく舌打ちする。
獣牙族特有の鋭い爪を具えたなりそこないを斬り捨て、すばやく視線を巡らせた。
ライブ持ちの奴らは・・・、ダメだ、遠い。
リブローは・・・、ああそうだ先の戦闘で切れていたな。
手持ちの回復薬・・・、薬草が一枚、心許ない。
一応薬草を傷口に押し当てるが、そこの痛みが僅かに和らいだだけで、体力の回復は望めそうもなかった。
しょうがなく、ジョフレに予備の傷薬でも貰おうかとしたところで、はたと気付く。
そうだ、傷薬。あるじゃないか。
思い出して道具袋を漁れば、奥に押し込まれていた小さな包みが手に触れる。
以前、ララベルに貰ったあの謎の傷薬だ。
取り出したと同時に、記憶の中のララベルの言葉が脳裏に甦る。

『その傷薬、私の前でなきゃ使っちゃダメよ。』
『ダメよ。戦場で使うなんて、』

「とんでもない、か?」
呟いて、中身を取り出す。どう見ても普通の傷薬だ。
すぐに飲み込もうとして、けれど逡巡する。
どうしても引っかかるのはララベルの言葉、態度、背筋を這った悪寒。
不安を呼ぶばかりのララベル特製傷薬を手に乗せたまま、アイクは溜め息をつきたくなった。
どうせなら愛なんて込めなくていいから、何も警戒する必要のない普通のフツーの傷薬をくれたほうが有り難かった。
「けど、そうも言っていられないな」
戦場に、悠長に傷薬と睨み合う余裕などない。
アイクは意を決して、手中の傷薬を飲み込んだ。
「っ・・・、」
驚きに目を見開く。
体中の傷から痛みが溶けるようにして消え去り、疲労感まで風に吹かれたように飛んでいく。
体も心なしか軽くなって、今ならどんな敵が現れようと負ける気がしない。
気分まで高揚する。
すごい、すごいじゃないか、ララベルの愛!
心の中でララベルを褒め称え、アイクは熱い体をもてあましながら敵中へと駆けて行った。


*


自慢の槍捌きで敵を突き伏せて、ジョフレは呼吸ついでに顔を上げた。
自軍と敵軍の戦意の差は明らかだ。戦況はこちらの有利に進んでいる。
それを確認して、ジョフレの目は自然と青を求めて動く。
先ほど見た限りでは、我が軍を率いる総大将殿は、どうも体力的に思わしくなかったようなので。
それほど離れてもいない場所に、視線を惹きつける青い色を見つけた。
彼は、敵兵を前に、どこか危ない足取りでふらりと揺れている。
どう見ても危険な状況。
「将軍!?」
思わず馬を走らせてアイクに近付き、すんでのところで敵兵とアイクの間に割り込んで、槍を一閃させる。
次いで馬上からアイクの体を引き上げようとするが、いかんせん片手で引き上げるには重過ぎる。
「アイク将軍・・・ッ! 少し動いてくれないか・・・!?」
「・・・ジョフレ・・・・・」
弱々しい声を聞きながら、なんとかアイクの体を馬に乗せて、己の前に座らせる。
途端、くたりと胸元にかかる体重。
ジョフレは眉を寄せてアイクを見下ろした。
「大丈夫か?」
「・・・・・はっ・・・、」
返答はなく、震える手がジョフレの腕を緩く掴む。
明らかにおかしいその様子に、ジョフレの中で不安がじわじわと膨らんでいく。
「将軍!? 毒でも喰らったのか!?」
「ん・・・・・」
胸元の鎧に押し付けられた頭がゆるゆると揺れる。
それにつられて青い髪がふわふわ動くのが、どうにもむず痒い。
「と、とにかく陣幕に・・・っ」
片手でアイクの体を抱きとめながら、片手で器用に手綱を操って、ジョフレは馬を走らせる。
その間もちらりとアイクを見下ろすが、やはりその様子は異状だ。
途切れがちに漏れる吐息は荒く、掠れている。その年の男にしては華奢な体は小さく震えていて、時折ピクンと跳ねる。それに付随して、「んっ・・・」なんて鼻に掛かった声が漏れるのだから、ジョフレは思わず彼から目を逸らした。
依然ジョフレの腕にかかったままの手は、力なくもぎゅうと握り締めてきて、その感触がまたむず痒いのなんの。
(・・・なんで、こんなに・・・。)

いやらしいんだ。

ハッ。
(な、ななな、なにを考えてるんだ俺は・・・ッッッッッ!!)
ボッと顔に熱が集まるのを自覚して、ジョフレは馬上にありながらブンブンと頭を振るう。
戦場でこんなことを考える不謹慎さと、苦しんでいるだろうアイクへの申し訳なさと、常にない己の血迷った思考回路に、ジョフレはがっくりと項垂れたくなる。
彼の従順な愛馬は、そんな主の動揺に反応してか、少しだけ速度を緩め、小さくなった振動にジョフレは揺られていた。
別に、ジョフレはアイクに対してそんなやましい感情を抱いていたわけではない。
第一そういった対象として考えたこともないわけで(考えるもなにも、まだ会って日も浅いし俺も彼も男だし!)、耳を掠める甘ったるい吐息に熱を持ちつつある自分自身なんて気が狂ったとして思えないわけで。
それに俺にはエリンシア姫という絶対唯一のお方が・・・ッッッ!
「ジョフ・・レ・・・・・、」
整った顔を歪め、頭を抱えて唸るジョフレに、ふいに掠れた声がかけられる。
「あ、アイク将軍・・・・・?」
「は・・・、ぁ・・つい・・・っ」
「あ、熱い?」
それは俺もです、なんて胸の中で叫びながら、ジョフレはさび付いた動作でアイクを見下ろす。
かち合ったのは、潤んだ青い瞳と高潮した頬と薄く開かれた唇とってどこを見ているんだ俺は!
そうは思うも視線を逸らすことが出来ないでいるジョフレに、アイクが縋りつく。
「ジョ、フレ・・・ッ、熱いんだっ・・・! 苦しっ・・・、」
「あ、あああ、アイク、どの・・・?」
「たの、む・・・、たすけ・・・てっ、くれ・・・っ」
脳内沸騰。
助けて? 助けて、とは一体どうやって? 俺が? 彼を?
つまりいったい俺に、ナニをしろと言うので?
ぐわんぐわん揺れる思考で混乱を極めながら、ジョフレはアイクを見下ろし続ける。だってアイクの濡れた視線は一心にジョフレを見つめ続けているのだから。
「ジョフレ・・・ッ!」

そんな普段からは絶対に想像も出来ない、欲を滲ませた淫猥な顔をするから。
そんな意味もわかっていないだろうに、全力で男を誘ってくるから。
そんな熱い吐息で掠れた声で求めて、震える体で必死に縋ってくるから。

言い訳を頭に並べまくっているあたり、ジョフレはもう止まれそうにない。 ダメだとわかっていても、自身が熱を持つのを止められないのだ。情けないことに。
(エリンシア様・・・。)
頭の中に無理やり愛する人を思い浮かべようとしても、思考も視界もこの滅多に見れないであろう淫猥な姿に絡めとられて、失敗する。
ジョフレは、手綱から手を離して、その両腕で思いっきりアイクの体を抱きしめる。
青い髪に顔を埋めて、緩慢に背に回された腕の感触にたまらなくなって。
「申し訳、ありません・・・ッ!」
誰に向けたのかなんて自分にもわからないけれど、ジョフレは誰かに向けて確かに何かを謝った。



ジョフレの賢い愛馬は、戦の喧騒からずいぶんと離れた場所へ、そして陣幕からも大分と離れた場所へ、カッポカッポとその蹄を進めていた。